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日本キリスト宣教団

グレースチャーチ

 2025年7月13日

「使徒としての労苦に生きる」     メッセージを聞く

みことば   (Ⅱコリント11:23、30)
「(23)彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら 以上にそうです。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。(30)もし誇ることがあるなら、私は自分の弱さのことを誇ります。」

A. パウロの使徒としての誇り:苦難
「異邦人の使徒」として召されたパウロが、福音宣教に仕えられたゆえ、私たち異邦人にも福音が届けられ、罪の赦しと永遠のいのちに与ることができるようになった。

B.講解の部分の概要
1.内容
16~21 パウロは、コリントの兄・姉たちの矯正の為、「誇る」という方法を敢えて取った。
22~33 パウロの誇り:「使徒的苦難と使徒的弱さ」

C.テキストの講解       
1.Ⅱコリント11:16~22              
a . 17~18節「(17)これから話すことは、主によって話すのではなく、愚か者として、自慢できると確信しています。(18)多くの人が肉によって誇っているので、私も誇ることにします。」                    

b. 17~18節を中心とした使信:
「多くの人」(パウロの反対者たち)が肉に従って誇っていて、パウロに導かれた者たちがそのような誇りにさらわれて行くので、たとえそのような誇りが、全くの愚かさであることを痛く感じていても、彼らのために少しは「誇ること」も止むを得ないと、パウロは感じた。

2.11:23~33                   
a.23節「彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうです。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。」
                   
b.23、30節を中心とした使信:
パウロは、キリストのしもべであるという主張を強めるために、「使徒としての苦難」を列挙していく。最後に、決して「名誉」とは言えない、ダマスコからの逃亡という「使徒的弱さ」を挙げている。
→パウロは、純粋なユダヤ人の血統であり、また
キリストのしもべであると言って、反対者たちに応答する。さらに、より勝ったキリストのしもべであるとの主張を強めるため、使徒としての苦難を列挙していく(23b~29節)。
(1)23b~25節:投獄、むち打ち、瀕死の経験
(2)26節:頻繁な旅行とその道中における危難
(3)27節:労苦、困難、飢え渇き、裸などの窮乏
(4)28~29節:諸教会への心遣い
最後に30~33節:もう一つの使徒的「弱さ」の例示
(ダマスコからの不名誉な逃亡)

c.『戦艦大和の最後』吉田 満
吉田氏は、奇跡的に「大和」から生還し、その体験記録を残した。氏自身の姿に、夫々の局面で真実と人々への愛を感じ、キリスト者でなくても、これほど崇高な生き方が可能だろうか、自分が生死の瀬戸際で、これほど、他に対する愛を実践できるだろうかと不思議だった。カ神大の佐藤 順師が「吉田氏は、米国で、礼拝にも出席されていたことがあります」と言われた。キリストの教えが吉田氏の中に流れていたからこそ、あのような極限状態の中で、通常の人間の理性や愛では為し得ないような行ないが可能だったのではないかと、納得した。「大和ゴウ沈!二時二十三分!」敵も味方も、同時に無電を発した。洪水のような敵機の来襲二時間、悪夢の戦闘が終わった。真っ黒な重油まみれの人間たちが、うめき声を振り絞りながら、苦しそうにのた打ち回っている。
空を見上げれば、一人でも生かしてはおかないというように、機銃掃射の敵機の襲来。既に恐怖はなく、皆、人並みの感情は忘れ去っていた。どれほど長く、もがき続けていたことだろうか。・・・すると、ついに味方の駆逐艦の姿が間近に見え、直進してきた。「そうだ、自分も士官のはしくれだ。一人でも多く部下を救わねば」。

D.結び 
1.a .「愚か者扱いにしなさい」とパウロは、常識を超える、教会への愛と、キリストに仕え抜く情熱に生きた。
b.「使徒」の召しに生きたパウロの働きによって、教会は歴史の中に根付くことができた。
2.パウロの心を燃やして下さった聖霊が、私たちの心も燃やし、支え、強めて下さいますように。

『ティンデル聖書注解-コリント人への手紙第Ⅱ』、『コリントの信徒への手紙二』加藤常昭、「御翼」佐藤 順、他




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